1月 初鐘(除夜の鐘)
1月1日0時から 年が変わる時から鐘を撞きます。たくさんの方が集い、鐘を撞き、本道でお参りをします。おでんや熱燗の振る舞いもあります。 尚、浄土真宗では、「除夜の鐘」という言葉はあまり用いません。 それは、浄土真宗の教えが、煩悩を払うことを目的とはしていないからで、煩悩を抱えて生きる私が今日も仏様や先祖に見守られながら生きていることへの感謝として、一年の始まりに鐘を撞きます。
1月1日0時から 年が変わる時から鐘を撞きます。たくさんの方が集い、鐘を撞き、本道でお参りをします。おでんや熱燗の振る舞いもあります。 尚、浄土真宗では、「除夜の鐘」という言葉はあまり用いません。 それは、浄土真宗の教えが、煩悩を払うことを目的とはしていないからで、煩悩を抱えて生きる私が今日も仏様や先祖に見守られながら生きていることへの感謝として、一年の始まりに鐘を撞きます。
10時半から 13時半から 3月のお彼岸の時期にあわせて、永代経の法要をします。是非ともお参りをください。 彼岸について 日本では昔から、太陽が真西に沈む時期を彼岸と呼びます。 そして、こちらの岸(此岸(しがん))とあちらの岸(彼岸)が繋がり合うように手を合わせてきました。 その時期は年に二回あり、「春分の日」「秋分の日」とも呼びます。 それは『西方浄土』と阿弥陀仏の浄土が西の彼方にあると、お経に記されたことに由来します。 真西に沈む太陽を見ながら、亡くなられた方に思いを馳せて手を合わせる。 同時に、私もまた西に向かって歩む一人の人間であると気づかさせられる。 そんな時期をお彼岸と呼び大切に大切にお参りしてまいりました。
10時半から 13時半から 盂蘭盆とは、ウランバーナという言葉からきています。 これは「さかさま」という意味です。 私たちは、大切なことは後回し、忙しいと言いながら、もっともっとと求め続ける間に人生の大半が過ぎていく。 そんな、「さかさま」な生き方をする私に、亡き人たちはいつだって、気づけ気づけとはたらきかけてくれていて、一度、足を止めて、亡き人たちに感謝をし、私と向き合う場を、お盆の法要というのかもしれません。 今日、お盆いうと、亡くなった人が帰ってくるから、亡くなった人に何かをしてあげなければ、という発想がどうしても生まれます。 「私が亡き人に」という矢印ではなく、「亡き人から私へ」願われていることを受け止める時期であると思っています。
10時半から 13時半から 9月のお彼岸の時期にあわせて、永代経の法要をします。 是非ともお参りをください。 彼岸について 日本では昔から、太陽が真西に沈む時期を彼岸と呼びます。 そして、こちらの岸(此岸(しがん))とあちらの岸(彼岸)が繋がり合うように手を合わせてきました。 その時期は年に二回あり、「春分の日」「秋分の日」とも呼びます。 それは『西方浄土』と阿弥陀仏の浄土が西の彼方にあると、お経に記されたことに由来します。 真西に沈む太陽を見ながら、亡くなられた方に思いを馳せて手を合わせる。 同時に、私もまた西に向かって歩む一人の人間であると気づかさせられる。 そんな時期をお彼岸と呼び大切に大切にお参りしてまいりました。
10時半から 13時半から 報恩講とは、1263年11月28日に亡くなった親鸞聖人のご命日に併せて勤められる法要です。 800年経った今も、教えが届いていることに感謝をすると同時にその教えを確かめ合っていく大切な法要です。 この法要は、『報恩講』という名の通り、報恩謝徳の場であります。 私が私となった背景を訪ねていくとき、無限ともいえる本当にたくさんのご縁の積み重なりの中で、私たちは生かされてきたことを知ります。 そこに思いを馳せ、手を合わせ、教えを聞いていくのが報恩講です。
*おときについて* この法要は、『報恩講』という名の通り、報恩謝徳の場であります。 私が私となった背景を訪ねていくとき、無限ともいえる本当にたくさんのご縁の積み重なりの中で、私たちは生かされてきたことを知ります。 そこに思いを馳せ、手を合わせ、教えを聞いていくのが報恩講です。
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